魔女という言葉を聞くと、空を飛び、呪文を唱える女性の姿が思い浮かぶかもしれない。けれど、この魔女という存在は、物語の中だけに生きていたわけではない。現実の社会のなかで、魔女とされた人々は実在した。彼女たちは、そう呼ばれたがゆえに、排除され、時には命を奪われた。
西洋の中世社会では、魔女は「悪魔と契約した者」とされ、教会の権威によって裁かれた。その対象は、呪術を使ったという証拠がある者ばかりではない。変わった知識を持っていたり、村の中で孤立していたり、女性であったりすることそのものが、「魔女」の条件となった。
要するに、魔女とは「社会の枠にうまく収まらない存在」だった。そのズレを持つ者たちが、“悪魔のしもべ”という物語によって名指され、秩序の敵とされたのだ。
これに対して、日本には魔女という存在はほとんど登場しない。不思議な力を持つ者がいなかったわけではない。むしろ、まじない師や陰陽師、巫女のように、力を持つ人々は各地にいた。
ただし、日本社会は彼らを“異端者”としてではなく、“距離を置いて関わる存在”として扱った。必要なときには頼るが、日常の中には迎え入れない。近くにいるけれど、親密にはならない。そのような絶妙な距離感が、日本における「力のある人間」と社会の関係を形づくっていた。
この「距離を置く」という感覚は、日本の文化全体に広く根を張っているように思える。異質なものに積極的に干渉せず、無理に排除もしない。触れずに保つ。その態度は、しばしば「事なかれ主義」とも言われるが、秩序を乱さないための知恵でもあったのだろう。
中国にもまた、興味深い対比がある。道士と呼ばれる人々は、幻術や召喚術、風水や仙術といった力を操りながら、社会的に認められ、尊敬される立場にあった。国家儀礼に関わる者もいれば、街角の薬師や祈祷師として活動する者もいた。
これは、儒教・仏教・道教が並立する宗教観のなかで、超常的な力が「異端」ではなく「知」として理解されたためだ。力を持つ者が、神に背いた存在ではなく、学びと修行の果てにある境地として認識されていた。
こうして見ると、魔女とは、ただ呪術を使った人間ではない。異質な存在を排除する宗教的・社会的な構造が、誰かを「魔女」と呼び、その名のもとに迫害した結果生まれた像だ。
異なる宗教観が、力を持つ者への扱いを大きく分けた。西洋では力は排除され、日本では隔離され、中国では制度化された。それぞれの文化が持つ「異質との距離の取り方」が、魔女を生んだり、生まなかったりした。
日本に魔女がいなかったのは、その社会が寛容だったからではない。ただ、異質なものを“静かに遠ざける”ことで秩序を守るという別の方法を選んでいただけなのだ。
魔女とは、異なるものに名を与え、語り、恐れ、そして忘れようとする人間社会の営みのなかで、必要とされた記号だったのかもしれない。物語が魔女を描くとき、それは「異質なものに社会がどう向き合うか」を静かに問うている。そう思えてならない。